わが家は、この夏で高校生の息子のソフトテニスが終わりました。まあ、おおまかに言えば、ですが。
今後息子がどうなっていくのかはまったく判りませんし、彼の自由でもあります。今までの10年間は(娘を含めれば12年間)ソフトテニスが生活のリズムでした。18才といえばもう大人です。現実はただのテニスばかなのですが、今からたくさんの経験を積んでいくのだろうと思います。本人は大学受験を控えて毎日補講に通っている夏休み後半ですが、わたしども親はなんとなく落ち着きません。いつもの年であれば来年に向かってとか、2年後に目標をたて、などとソフトテニスを中心に勝手にテンションをあげていたのですから....。
二人の子供は今は家にいますが、息子はここでたぶん出ていきますよね。そうしますと三人の生活が始まるんですよ。男一人と女二人、ですね。娘は大学2年生ですから後2年は居ます。息子は4年経って帰ってくるかどうかは不明...。いよいよ「子離れ」の時期なのだなあ、と。
わたし的には、「ついに自由な生活」が確保される、とはいかないような気分です。ソフトテニスから離れるのが寂しい気分なのです。妻はどうかは判りません。実際には中学生のソフトテニスがありますから離れることはないのですが、現役のプレーヤーのいない家庭が寂しく感じるているのです。
適度の緊張とスリル(きわどい試合に親としてのドキドキ感や胸を絞る感触...)は家族の絆といいますか、結束を強くしていたと思うんです。よく分かるのが、娘は大学にいってからはラケット握っていませんし、試合も見に行きませんでした。それが息子の最後の夏は積極的に試合を見に行くのです。もちろん勝ち負けでの感情表現もありますが、試合の流れなど技術的な部分の批評もしっかりしてくれました。今まではいつも両方が違う試合に居ましたから、片方に集中して応援ということはありませんでしたし、バラバラに動いていた感じです。それが今年は家族総出で応援ということができました。例えていうなら、打ち上げ花火の最後の一斉打ち上げ時の華やかさ、とでも...。結果は寂しかったですが、家族総出で一体感を感じて選手たちに声援をおくるという充実感は初めての経験でした。
こうなって初めて「子離れ」の実感です。他人様の親子関係を「ああだ、こうだ」とは言えなくなっちゃいました。人それぞれ親子感情に違いはあれ、基本は「愛」ですね。こっ恥ずかしいのですが、やはりほかに表現できることばを知りません。それぞれの希望の人間に育ってほしいという願望とそれに向かっていく選手達。きっとすばらしい将来があるはずです。失敗あり挫折ありの厳しいものでしょうが、それも楽しんでしまおうという親心を今強く持ちます。
結局のところ、「子離れ」は実現不可能であることに気付かされました。死んで灰になるまで「かわいい子供達」を心配したり喜んだりするものなのだろうと思います。わたしだけかもしれない、しかしこんな自分に不思議です。勝手気ままに生きてきていますが、子供をもって20年してすこし親心を理解してきたなあと。
さあ、あとひとふんばりして頑張っていこうかなと。もう少しして本当に3人の生活しはじめたら違う感覚になっているかもしれません。その時はも一度報告させていただきます。
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