TECHNIC & MENTAL
<尊敬する指導者と親愛なる選手たちの明るい未来を夢見るおやじからの戯言メッセージ.....>


●普通という不思議.....。2003.9.25


 小中学生の選手を見ていてとくに感じるのは、クラブや学校によってあたりまえのことを当然かのようにしていること(このあたりまえが指導する側では普通とか常識と言われるものか?)です。
 オーソドックス(良い意味で)な構えできちっとプレイするチームや、身体能力を活かしてはつらつと動きまわる選手、どちらもその組織の中では「普通」なのだと感じて見ています。指導者や顧問の先生方の話に耳を傾けますと「ああいうところが気にかかる....。」とか、けっこう技術的なことが中心になることが多いと思います。
 選手を画一的に型にはめていくと(初歩から始めて)、あるところから限界みたいなものがあります。身体の柔らかい人や固い人、手首の強い人や足の鈍い人、限られた期間で結果を求めていくと、やっぱり個人的な特性を活かして最大の成果を生むという手法になっていくのですが、いかがでしょうか。ですから技術的な話が多めでメンタル的な話は個別の問題で共通の話になりにくいのかなと思います。
 もちろん試合中の精神的なものについては問題視して話すことは多いとは思いますが、わたし個人を考えますと、ふだんの練習ではやはり技術優先でいっていますね...。そうしますと毎日の練習が準備運動で始まり基本から応用に至り終了時のクールダウンとかいう一連の流れが作りにくくなっていくというか、「やっていません」。これでいいのかなと常々思います。乱打で始まりなんとなく終わる...。夜、公営テニスコートでの個人的指導の範疇でやっていることは「普通」こんなものなのかなと思って漫然と過ごしています。
 次第に緊張感は薄れ、自分の中にも気迫というか情熱みたいなものが薄れていくことがあります。「日常」が自分の中で「普通」に何ごともなく過ぎていくような気がします。年間通じて勝ち続けているチームの場合、緊張感や充実感が選手や指導側にもありこんな状態にはならないと思います。2番のチームでもその範囲だと感じます。
 では、それ以外の場合どうするかが今回の問題で、わたしの中では、「刺激」をつくることに「普通〜」を打開する糸口を探しています。良いか悪いかは疑問なのですが、単調なリズムの練習はなんとなくだらけそうな気がしますので、テンポよくリズム感を持たせて短時間の練習を織りまぜながら子供達が飽きないように玉出しをする。あるいはひとり一人に対してコメントを入れながら行う、という自分にも活を入れながら励ましながら元気を盛り上げるように行っています。これ、けっこう体力消耗します。仕事中にも時々単調な作業をしている時に「フッ」と今夜のメニューは「怒る、叱る」でいってみようとか考えます。それをメモ帳に記して「忘れないように」しています。「普通」に物忘れが激しくなっていますのでメモは必須です。
 それがコートに行ってみると違うことになっちゃうことはよくあって、そんな場合「第2案」「第3案」も必要になってきます。ルーチンとしての開始時終了時の身体運動も少しづつ「普通」に日常化させることとして、中身の濃い練習にしたいなと思います。
 「普通」に「夢」と「希望」の満ちあふれたコートでの日常に欲望を感じる年頃(45)です。いったい「普通」ってなんだろう。ぐ〜。

 

 

 

 

 

 

          
   


 

Copyright 2004 m@sa. All rights reserved.
made with an old Mac,G38100,SUPERmacS900NeWER

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送