TECHNIC & MENTAL
<尊敬する指導者と親愛なる選手たちの明るい未来を夢見るおやじからの戯言メッセージ.....>


●ネット利用の功罪.....2002.11.13


 この頃、選手たちが携帯電話をよく利用しています。もちろんその他の子供達もほとんどの子供が持っているようです。練習の合間や家でも「パチパチッ」とメールを打ちまくっていることでしょう。私の子供もそうしています。

 新聞に「メールをしていないと落ち着かず、受験勉強が手につかなくなってしまった.....」「他人事であったはずが、いつのまにか自分もそれになっていた....」ということがあると投稿されていました。

 私はインターネットを利用していて、パソコンでメールをしていますが携帯ではしません。妻は携帯でします(パソコンをあまり利用しないこともあって)。道具の利用に依存している動態がそこに見えます。精神的に不安になるというのはとても深刻だと思います。もしもパソコンがなくて、携帯でメールをしないということが不安になったら「いやだなあ...」と思います。

 そんなに必要なことなのでしょうか。そこらじゅうが、「パチパチ」している景観は不気味です。電話をかけるより安いからと言い訳していますが、そんなにメールばかりする「内容」があるんでしょうか。お国はなにを根拠に子供達にコンピューターを教えるのでしょうか。使えなくても生きることはできます。使わなくては生活できないわけでもありません。「算盤」と「手紙」と「電話」、「テレビ」「ラジオ」など、もうすでにインフラが整っていて生活に密着している道具がいっぱいあるではありませんか。

 無味乾燥な携帯端末の「デジタルテキスト」をやり取りするより、手書きの紙を差し込んで行う「ファックス」が日本では普及しまくっているではないか。たとえ汚くっても感情や情緒が伝わる手段だと思うのですが.....。私がパソコンを使っていていうのも変に聞こえるかも知れないが、メールより手紙がいいと感じるのである。

 89年ころからモデムを通販でアメリカから取り寄せて、まだ認可がおりていないことを知りながらも、モデムストリングスを書き換えながら悪戦苦闘して9600bps(たぶんG3~G4クラスで業務用FAXレベル)でPCから一般電話にファックスをグレースケールの写真付きで送ったり、日経BIZに接続して新聞のデータベースから資料を一晩中ダウンロードしてみたりと、けっこう苦労して書類をデジタル化していましたが、現在その時のデータはMOに貯まったままであり、再利用は過去2〜3年全くない。ましてや当時の128mbMOは今後互換性の問題もあり、自然淘汰され読み込むこともできなくなっていく運命である。今後それらを整理するとなるとCDRもしくはDVDになる。それらにかかっていく経費は莫大で、それらを作る資源となれば自然破壊そのものである石油原料や化学薬品類である。当時の電話料金の金額を考えると、現在のFret'sやADSLのつなぎっぱなしで定額3〜4000円程度は驚愕ですらある。

 当時なぜにそれまでしてデジタル化を進めていたかを考えてみると、今のように情報が溢れかえっていなかったり、コネクション(人間関係)不足、時間短縮であって人的資源に不足していたなかでの苦肉の策でもあったわけで、けっして「おたく」な理由ではなかった。必要に迫られ、泣く泣くパソコン関係の書籍を買い漁り、アメリカに便利なものがある...情報を元に国際電話で知人に電話して確認してもらい、ファックスで通販していた。アメリカでは現在でもファックスが日本程普及しなかった背景がありモデムが普及した。キーボードはアルファベットだけでもちろん足りる。子供でもキーボードアレルギーはないことが多い。必然だと思う。

 日本のお国柄なのか、経済復旧の苦肉の策なのかは知らないが、学校の先生がパソコンスクールに通って勉強している姿が泣かせる。今さら何を習えというのか、ましてやそれを元手に生徒になにを教えるのか。まさかパソコンは「打出の小槌」で何でもできると教えるわけではあるまい。使うためにはパソコンのハード(構造)やアプリケーション(ソフトなどともいう)の知識や、それらのメンテナンスという厄介な行為が附随してくる。そんなこときちきちとできる先生など居やしない。

 子供達が携帯やゲーム機を器用にこなせるのは生活に密着しているからで、今後低価格化がもっと進めば低年齢化も進み体に密着して使用することまで想定される。しかしそれの利用はあくまでも電話とメールだけにしてもらいたい。ゲームやカメラなどはただのおまけであり連絡手段には関係ない。よけいなモノをつけて販売しているのは日本だけである。NTTがその先頭を走っているのは何となく胡散臭い。バグだらけの携帯を売りまくって回収修理など官僚的にしか行わない。ユーザー第一主義などという言葉はどこにもない。あるのは廃棄処分に回る大量の旧機種達である。「使い捨て主義」の日本に戻ってしまって、新たな公害をまき散らす新手の企業の登場なんである。文部科学省までそれらを国民に押し付けるカリキュラムを作っている......。

 今の時代に必要と思えるのは、実業であって虚業ではない。フロッピーやCD1枚に何万円も払わなくても海や山にいって自然観察や森林活動を行えば、それらのソフトでできる学習の何倍もの感動と知識が体で覚えられる。正しいお金の使い方を貧しい時代に身をもって教わったはずの大人が、なにを考えてバーチャルな教育に対して大枚を払うことを決めているのか。そんなものは前に書いたように10年もすれば何の価値もなくなってしまうのです。インターネットにどんな宝の山があるのでしょう。あるのは当たり前の差し障りのない古い情報の蓄積だけです。いま実際におきていることがデータベースになっているはずはありませんから、実践に役立つモノでもなく、子供の教育に良くないモノは大量に氾濫しています。それらを一人の先生が制御できることはありえません。

 使うための知識と節度ある利用方法を知っている人のために作り上げたネットワークですから、当たり前なのです。それを「夢」の手段だと勘違いしているお役所が、勝手に騒ぎ立ててNTTが便乗しているだけなのです。国民総背番号(?)制度も見切り発車してしまいました。かならず問題が発生していくでしょう。誰も責任をとらず問題は山済みになっていくはずです。一番問題なのは、それが日本で留まらず世界中から攻撃される目標になってしまうことです。今後経済戦争の中でそれらの情報はまちがいなく「日本」というデータベースになって世界中に発信されて、商取り引きの基礎資料になります。「強い日本」の足元はそんなデジタルデータで崩されていってしまうのかも知れません。

 国民の安全を守るはずの国が、教育者も含めて国民の地位を危うくさせていく構図がこんなにはっきりしているのです。一流企業のトップが外国人になっていくのもうなづけます。

 ちょっと横道に走り過ぎ、文体も過激になっちゃいましたのでこの辺で止めときます。まあくれぐれも道具につかわれないように御注意くださいませ。

 m@sa

          
   


 

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