TECHNIC & MENTAL
<尊敬する指導者と親愛なる選手たちの明るい未来を夢見るおやじからの戯言メッセージ.....>


受験というものはいったい...
 すこしづつ秋の風を感じるきょうこの頃です。

 8月のあの全中をおもいおこす度に人の子供のこととは言え、何だか心残りです。(勝手に思わせていてください....)

 静岡県内の私が知っている範囲で中学三年生のこどもたちは、今何を想い何をしているんだろう.....・きっとそれぞれの目標とする高校受験に向けてひたすら頑張っているんだろうなあ〜。とくに必要のない子はテニスしているのかなあ。

 わたし思いますに、勉強といわれる行為に異論はないのですが、「お受験」といわれる行為のための勉強には対立してしまいます。自分がそういったプレッシャーの中で勉強したことがないせいもありますが、娘が初めてそれに対している現在、納得いかないんですよね....(^o^)

 世紀末と言われて久しいのですが、もう1999年も後半であと一年もすると21世紀に何だか知らないけど突入していくんですよね。コレとてもすごい時期ナンだろうなあと感じて、フト「なにが.....plus」と.....(^o^)

 子供達は受験、親達は生活とそれらの費用捻出のためにアクセク働く、時代は21世紀、ず〜っと前から(633制度以前から)続いている行為であり、20世紀末で世界を見渡せるようになって、なにもかもが身近に用意されていてそれは手に入れようとすればなにがしかの金銭や労働の対価として手に入れられる.....そんな時代にしてはむかしから何も変わっていないシステムですね。

 日本が誇る(っていた)終身雇用制があっけなくも必然的に崩壊していく時代に、このシステムはいったいぜんたい何を目的として厳然として持続しているんだろう.....勝負のようでもあり、ふるいわけと階層化して監理するためのようでもあり、人が自由に教育や文化を手にしているとは思えないシステムです。ナンだか共産plus的でもあります。好きなことをさせて好きな仕事につくことができない社会なんて、ほんとうの自由主義国家ナンでしょうか。

 戦後アメリカの後を必至に追いかけてきた日本が、まだ追い付けない自由がここらへんにありそうな気がします。みせかけの住宅ときれいな洋服を着て「裕福」な生活をしているフリをしている....家や学校では「・・・暴力」や「・・・不在」など訳の解からないことばが新聞などでやたらめったら一面を飾っているようで...

 ここまで西洋化した日本で「むかし」を取り上げてもどうしようもないとは思いますが、なにか忘れちまったあったかい文化が僕の幼少期にはあったんじゃないかなあ〜。とくにせかせかせずともがんばって働き生活していけた社会「いなか」がとても懐かしく、今でも自分だけのまわりはそうあってほしいとずっと考えちゃっています。ま、今頭の中にある語彙をいろいろくっつけて書くとこんなふうになって.....

 そこで初めに書いた「納得いかないんですよね...」となっちゃうわけです。もっと気軽に「お受験」させたいなあ、と...(^o^)

byby m@sa

          
   


 

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